翡翠白菜の虫たち

昨日の「白菜はえらい」という記事の中で、台湾の故宮博物館が所蔵する「翡翠白菜」についてふれた。
実はあの翡翠白菜の葉っぱには、イナゴとキリギリスがくっついている。

葉の色と同色なので、写真だとよく目を凝らして見ないと確認できないが、白菜同様にかなり精巧な造りだ。
白菜に「純潔」「高貴」といった意味がこめられているように、イナゴとキリギリスは「多産」「繁栄」の象徴だ。
これらの組み合わせを思えば、この作品ほど「婚礼の持参品」としてふさわしいものもないだろう。
事実、清朝末期にこれを携え光緒帝に嫁いだ瑾妃は、西太后に苦しめられながらも(妹を殺害される等)、逞しく動乱の時代を生き抜いた。
彼女の死後、紫禁城から持ち出され、各地を転々としたが、第二次世界大戦後、台湾に送られ現在に至る。


さて、話を再度「イナゴ」と「キリギリス」に戻そう。


美術工芸品に、こうした昆虫がデザインされていると言えば、東洋よりも西洋とより深く付き合ってきた私がまず真っ先に思い浮かべるのは、アール・ヌーヴォーである。
東洋美術、中でも日本美術から多大な影響を受けたアーティストたちにより、「虫」は一躍表現の主役となり、ルネ・ラリックエミール・ガレは、それらを洗練の極みへと押し上げた立役者だろう。

上2点はルネ・ラリックのとんぼをモチーフとした作品。

こちら2点はエミール・ガレの作品。
日本美術の、殊に北斎の影響が強く見られる。


ちなみに北斎の作品は以下3点。

このように、19世紀末から20世紀初頭にかけて西洋美術界を牽引したアール・ヌーヴォーという運動は、東洋・日本美術からの絶大なインスピレーションを得て拡大した。
そのシンボルとも言えるものが、虫の造形である。


しかし、虫を形作ったり描いたりすることは、何も東洋人だけが思いついたものではない。
ポンペイ遺跡から出土した2000年前の壁画には、鳥や花々と共に虫も生き生きと描かれており、古代ローマ人の自然への共感がうかがえる。
床モザイクの図案でも何度か見かけたことがあるので、彼らにとって「虫」は身近で親しみのある存在だったのだろう。
ところがいつしか虫は西洋絵画では描かれることが極端に無くなっていく。


そうした中、異才を放つのが15世紀から16世紀にフランドルで活躍したヒエロニムス・ボスやピーテル・ブリューゲルといった画家だ。
彼らの作品に登場する、鳥、魚、爬虫類、そして昆虫が変形した妖怪たちは、見るものを圧倒し翻弄する。
当時の社会を覆っていた暗い影がここには投影されているが、どこかユーモラスでもあり、見れば見るほど謎が膨らむ。

上はブリューゲルブリュッセル王立美術館が所蔵する『叛逆天使の墜落』と題された作品だが、これをはじめて実際に目にした時、しばらくそこから動けなかった。
非常に恐ろしくもあり、なぜか可笑しくもあり、気持ち悪くもあり、痛快でもあり・・
ただ、ここで描かれている「虫もどき」には、画家は「美」を求めていない。


一方東洋では、虫は、その「美しさ」に着目され続けてきた。
それだけではなく、日本では、ある種の虫が出す「音」すら「美しい」とされてきた。
歴史が違う。
北斎の描く画面に登場する虫は、どれもとても美しい。
そこに19世紀末の西洋人美術家は新鮮な驚きをもって感動し、発見があり、かくして新しい波は起こった。


たかが虫、されど虫である。


西洋では忌み嫌われる存在、取るに足らない存在だったが、一気に美の体現者へと変身したのだ。




そうそう!
数年前の夏、街路樹で蝉が羽化する瞬間を見た。
出てきたばかりの蝉の、あの透明なエメラルドグリーンには、思わず声をあげるほどだった。
空蝉」の魅力とはこれのことか!・・と納得した。
脱ぎ捨てた衣の中身の、なんという輝かしさ。
これは光源氏も忘れられないだろう・・・と、まったく関係のないことを思った。


ただしあの眩い美しさはいつまでもは続かない。
あっと言う間に、普通の蝉の色に変化してしまった。


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