「オルセー美術館展2010」を前に期待いろいろ

先日、このブログに羅列した「オルセー美術館展2010」で紹介される作品について、現時点で私が思っていることや、期待することを、簡単にメモ書きします。



ギュスターヴ・モロー 『オルフェウスの首を持つトラキアの娘』(1865年)


象徴主義を代表する傑作。
象徴主義というのは、もっぱら外面を描くことに終始した印象派への反発としてあらわれた、絵画で思想や哲学を表そうとする動きです。
愛してやまない亡き妻を、冥界にまで行って取り戻そうとしたけれども、あと一歩のところで失敗し、現世に独り戻ることになったオルフェウスは、それ以来あらゆる女性に興味を失います。そのために狂った女達の怨みをかって、なんと八つ裂きにして殺されてしまいます。
彼女たちが川に投げ込んだオルフェウスの首は、彼が持っていた竪琴とともに 歌いながら(*゚o゚*)流れて行き、岸部に流れ着いたところを、その地の娘に拾われた・・・・という場面が、この絵には描かれています。
首だけになっても歌い続けていたオルフェウスの顔と、それを拾い上げて見つめる娘の顔、両者の表情を、久々に間近に、じっくりと見てきたいと思っています^^


ピエール・ピュヴィ・ド・シャヴァンヌ 『貧しき漁夫』(1881年


これまた象徴主義の記念碑的作品。
幼い子供を二人残して、妻に先立たれてしまった、貧しい漁夫を描いています。
まるで中世のフレスコ画のような色彩、雰囲気の作品です。
シャヴァンヌの作品には、だいたいどれも神秘的な静けさが漂っていますが、いったい彼は、この漁夫一家を描くことで、何を表現したかったのでしょうか。
赤い布に包まれ野に咲く小花の上で眠る赤ん坊と、花を一心に摘む年長の子供、そして舟の上で子供たちには背を向けて目を閉じている父親・・・
見れば見るほど、私はなんだか悲しくなってくる絵なのですが・・・


エドガー・ドガ 『階段を上がる踊り子』(1886-1890年)


この絵について私は、あまりよく知りませんし、何度か訪れているオルセー美術館ですが、まったく記憶に残ってもいません。
今回はじめて、意識して鑑賞する絵になるのかも・・・・です。


フィンセント・ファン・ゴッホ 『自画像』(1887年)


ゴッホという人は、生涯に40点ほど自画像を描いているのですが、これもその一つ。
オランダからパリにやって来た翌年の作品です。
私は、この自画像からは、後年のもののような「危うくイッてしまった感じ」を、あまり受けません。
この2〜3年後に描いた、やはりオルセー美術館が所蔵している自画像の、険しく狂気をはらんだ印象とは、大きく隔たっているような気がします。


エミール・ベルナール 『水浴の女たちと赤い雄牛』(1887年)


この画家の作品を、これまであまり注目して見てこなかったので、今回は、じっくり鑑賞しようと思っています。



フィンセント・ファン・ゴッホ 『星降る夜』(1888年


ゴッホの作品でも、一般にとても人気があり、確かに私も、自宅の寝室に飾りたくなるような一品だと、かねがね思っております(笑)


ジョルジュ・スーラ 『ポール=アン=ペッサンの外港、満潮』(1888年


美しい絵です。
彼が生み出した、原色とその補色のハーモニーを、今回じっくり味わってきたいと思っています。


カミーユピサロ 『白い霜、焚き木をする若い農夫』(1888年


ピサロらしい絵だな・・とは思いますが、私の記憶には留まっていない絵なので、今回しっかり見ようと思ってます。
ピサロは、1874年から8回催された「印象派展」に、画家たちの中ではただ一人、全部に参加しています。
作家同士の諍いやゴタゴタを仲裁したり、若手の面倒を見たり、なかなかの人物で、やはりそういう人柄が、安定感のある絵に表れていますよね・・・


エミール・ベルナール 『愛の森のマドレーヌ(画家の妹)』(1888年


若くして亡くなった、美人で評判だった妹を描いた絵です。
ベルナールの代表作。


ポール・セザンヌ 『台所のテーブル(篭の静物)』(1888-1890年)


セザンヌ静物画の中でも、おそらく最も有名な作品です。
ルネサンス以来の西洋画の常識を覆し、対象を一つの視点からだけではなく、異なった様々な視点から捉え、画面の中に非現実を作り出すこの手法は、多くの画家に影響を与え、ピカソやブラックのキュビズムの先駆けとなっていきます。
台所というごく身近な場所を描きながら、そこには誰も見たことがない異次元空間が広がっているわけで、セザンヌという人は、つくづく凄い発見をしたものです。
この作品は、今回が初来日!
展覧会では“黒山の人だかり”が予想される筆頭です("▽"*)


アンリ・ド・トゥールーズロートレック 『赤毛の女(化粧)』(1889年)


娼婦の背中を描いた傑作です。
商売用に着飾り、媚びのある笑顔を見せた娼婦ではなく、一人の孤独な人間としてそこに座る、この女性の背中は、なんと雄弁なことでしょうか。
この絵は数年前の「ロートレック展」でも来日してました。


ポール・セザンヌ 『水浴の男たち』(1890年頃)


男だらけの「水浴」の絵です^^
女性は一人も描かれてはいません。
真っ白な入道雲が踊る青空の下、「これが青春だっ!!」…とでも誰かが叫んでいそうな絵です。
そして、セザンヌの青春を思うとき、どうしても親友だったエミール・ゾラのことが出てきます。
最後は絶交してしまうセザンヌとゾラ・・・
ゾラの訃報を受け取った時に、うめき慟哭したセザンヌ・・・
切ないです。


ポール・ゴーギャン 『“黄色いキリスト”のある自画像』(1890-1891年)


ゴーギャンという人も、よく自画像を描く人です。
この絵は、タヒチに出発する前に描かれ作品ですが、なんとも凄い気負いを感じる絵です。
彼は結局、タヒチに行けばフランスが恋しく、フランスではタヒチに想いが飛んでいき、どこにいても、そこには満足できない人物だったようです。


ポール・ゴーギャン 『タヒチの女たち』(1891年)


タヒチの女性の存在感に圧倒されます。


エドゥアール・ヴュイヤール 『ベッドにて』(1891年)


ナビ派”が目指すところ、ここにあり!・・といった作品です。
ナビとは、ヘブライ語で予言者を意味しますが、彼らは、自分たちこそ新しい芸術の予言者であるという気概を持ち、当時のパリで一世を風靡していた日本美術はじめ、あらゆるジャンルのものを貪欲に取り入れた制作をしていきました。
美術とか音楽、文学、演劇といった枠を取り払い、芸術を総合的に展開させようということで、「できることはなんでもやってみよう」という姿勢です。
この作品の、思い切って単純化した画面構成と、大半をベージュ色でまとめた大胆さにも、そうした気分が濃く感じられます。


アンリ・ド・トゥールーズロートレック 『黒いボアの女』(1892年)


この絵も、数年前の「ロートレック展」でお目にかかってます^^
いやぁ〜〜この娼婦の顔の、なんと厳しいことか・・・
根性の悪そうな目元、口元。
幾多の地獄を見てきたことか・・という顔つきです。
しかしそれだけに、非常に強いインパクトがあり、この絵を一度見たら、忘れることはできません。
再会が楽しみです^^


ピエール・ボナール 『格子柄のブラウス(20歳のクロード・テラス夫人)』(1892年)

ボナールは「日本的なナビ」などと呼ばれています。


ルフレッド・シスレー 『モレの橋』(1893年


シスレーは、私は大好きな画家です。
一生を通して、自分が“印象派”の画家であることに迷いが無かった人です。
あのモネですら、晩年は様々に迷いが生じましたし、ルノワールは完全に印象派の画風を捨て去りますが、シスレーにはそうした変節がありません。
かといって、何も考えずにマンネリズムに陥っていたわけでもなく、詩情いっぱいに美しい絵を描き続けました。
思想や哲学を伝える絵もいいけれど、このシスレーの作品のように、この世の美しさをひたすら歌い上げる絵にも、立派に存在意義があると思います。
むしろ最近の私は、そうした絵の方が、好きです。


モーリス・ドニ 『木々の中の行列(緑の木立)』(1893年


ドニは、ナビ派のリーダー的な存在でした。


アンリ・ルソー 『戦争』(1894年)


今回、私が一番楽しみに待っている画家は、アンリ・ルソーです。
中でも『戦争』。
この絵の前に立つと、なかなか動けなくなる、そんな絵です。
見れば見るほど怖い絵です。
あ〜〜待ち遠しい!


エドゥアール・ヴュイヤール 『公園:戯れる少女たち、質問、子守、会話、赤い日傘』(1894年)

室内装飾画として制作された作品群。
「なんでもやってみよう!」のナビ派です^^


アンリ・ド・トゥールーズロートレック 『女道化師シャ=ユ=カオ』(1895年)


衣装を付ける女芸人を、背後から描いた作品。
ロートレックという人は、芸人や娼婦といった女性たちにとっては、空気も同然の存在だったのでしょうね。
女性の身としては、化粧をしたり、着替えをしたり・・・といった姿を他人に見られたり、ましてや絵に描かれたりすることは、何よりも嫌なことですが、それをこんなにも何人もの女たちから許されているのですから、本当にどこまでも信頼されていたのでしょう。


クロード・モネ 『睡蓮の池、緑のハーモニー』(1899-1990年)


白内障で目が不自由になる以前に描かれた、睡蓮の池の作品です。


フェリックス・ヴァロットン 『ボール(ボールで遊ぶ子供のいる公園)』(1899年)


とても印象的な絵です。
彼の作品は、どれも、強い印象を見るものに与えるのですが、今回の展覧会でも、私が心待ちにしている絵の一つです。


モーリス・ドニ 『セザンヌ礼賛』(1900年)


セザンヌ静物画を囲むナビ派の画家たちです。
“画家礼賛もの”としては、アンリ・ファンタン=ラトゥールの『ドラクロワ礼賛』や、マネを讃えた『パティニョール街のアトリエ』が思い浮かびますが、おそらくこれにドニは触発されて制作したのではないでしょうか。


クロード・モネ 『ロンドン国会議事堂、霧の中にさす陽光』(1904年)


モネはこのテーマで、いくつもの作品(10作以上?)を描いていますが、その一点がオルセー美術館の所蔵です。


ピエール・ボナール 『装飾パネル、水の戯れ(旅)、悦び』(1906-1910年)

この作品に関しては、今私の記憶にはありません。


アンリ・ルソー 『蛇使いの女』(1907年)


初来日の傑作です。
『戦争』とあわせて、一番見たい作品です。
あぁ〜〜楽しみだ〜〜


ポール・シニャック 『マルセイユ港の入り口』(1911年)


オルセー美術館シニャックといえば、大作『井戸端の女たち』が浮かぶのですが・・・







以上、今回オルセー美術館展として来日する作品について、今現在の印象を語ってみました^^




Rousseau (Taschen Basic Art)