カラヴァッジョ没後400周年祭

今年2010年は、イタリアの画家、カラヴァッジョが亡くなって、400年目にあたります。
「病めるバッカス」ローマ・ボルゲーゼ美術館蔵 (カラヴァッジョ自画像)


そこで、今月18日から6月13日まで、ローマのスクデリエ・デル・クイリナーレ美術館では、世界中からカラヴァッジョ作品を集めての展覧会が催されます。
イタリア国内にある主要作品はもちろん、アメリカやロシアなど、文字通り世界中に散らばったカラヴァッジョの名画たちが、ローマで一堂に会するのです。


あぁ〜〜〜興奮するなぁ〜〜〜〜〜行きたいなぁ
なんとかして行けないものだろうか・・・
諸事情があり、今回は絶対に行けそうもないのですが、ここまで大掛かりなカラヴァッジョの展覧会が企画される機会は、そうは無いと思われるので、あぁ〜どうしてこういう時に限って身動き取れないのか、本当に残念です(-"-)


・・とはいえ日本国内でもそれなりの動きがありまして、今月13日(土)から、『カラヴァッジョ−天才画家の光と影−』という、2007年に制作された伊・仏・西・独合作映画が公開されます。
劇場は、東京では銀座テアトルシネマですが、他にも日本各地の主要都市で順次公開予定です。
不世出の天才でありながら、破滅的な生涯を送った画家が、どのように描き出されているのか、非常に期待されます。




私がカラヴァッジョの作品を強く意識するようになったのは、イタリア留学中でした。
夏休みの二週間、友人とローマに行き、時間が許す限りありとあらゆる美術館、博物館、教会を巡りました。
そうした中、ボルゲーゼ美術館で、彼の『果物籠を持つ少年』に出会い、すっかり夢中になりました。

画集などでは何度も目にしたこともある絵でしたが、実物から放射される魔力ときたら、それは強烈なものです。
同時代の他作家の作品とはまるで違う、独特な空気に心を奪われて以来、もう寝ても覚めても「カラヴァッジョぉ〜〜」・・となりました^^;
おそらくイタリア国内で目にできる作品は、そのほとんど(たぶん全部)を見に行きましたし、地続きで行けるパリやマドリッド、ヴィーン、船に乗ってマルタ島、ホントにどこまでも追いかけました。
旧東ドイツだったポツダムやベルリンには、ちょっと根性や時間がなくて行けませんでしたが・・


そうして追いかけた結果、その時々で私の中での「最高傑作」は変わりましたが、今一番愛している彼の作品は、ミラノのアンブロジアーナ絵画館が所蔵している『果物籠』かもしれません。





籠の中には、豊かに実った葡萄、無花果、リンゴなどが、それらの葉と共に盛り合わされており、一見したところ、とても静かで落ち着いた絵です。
しかし、しばらく眺めていると、この絵全体にひたひたと流れる「時間」が見えてくるんですね・・
それは、ありとあらゆる物を「滅び」へと向かわせる時間です。


手前のりんごは、ところどころ虫に喰われており、奥のぶどうは、一部萎びて腐敗が始まっています。
葉も、ツヤツヤと輝く部分があると同時に、朽ちた部分もあり、右側の葉に至っては、もう完全に枯れて干からびており、手で握れば粉々に砕けそうです。
昨日このブログに取り上げた、セザンヌが描いた『りんごとオレンジ』とは、まったく別世界を形づくっています。


確かに、カラヴァッジョとセザンヌでは、生きた時代も、国も、育った環境や人柄も、大きく掛け離れたものがありますし、こうして同じように「りんご」を描いても、そこから受けるこちらの印象が真逆なのは、当然といえば当然かもしれません。
ただ、彼らが表現しようとしたもの、「りんご」を描いた意味は、おそらくは同じなのではないか・・と、私は思っています。


セザンヌは、制作に時間が掛かった人で、アトリエのりんごはたいてい、彼が一作仕上げる間に腐ってしまったそうです。
腐りゆくりんごを見ながら、あえてそれらが生命力に溢れて輝いていた時を、セザンヌは描き続けました。
それも様々な角度、視点から、最高の瞬間を切り取って配置していきました。


一方カラヴァッジョは、まだ瑞々しさを充分に残してはいるけれど、もうすでに痛み始めているりんごを描きとめました。
『果物籠』のりんごは、破滅に向かう時間の只中にいる、この世の万物の代表であり、ありのままの姿なのです。


表現方法こそ違えど、二人の画家が見つめていたものは、「時間」であり、「生と死」でした。




ここ何年か私は、この『果物籠』を、パソコンの壁紙にしています。
たまに気まぐれで変えることもあるのですが、結局はまた『果物籠』に返ってきてしまいます。
もちろん、アンブロジアーナ絵画館にある実物とは、色合いから質感まで、全然違います^^;(まぁ、パソコンの液晶画面ですから・・)
それでも、一日に何回かこの絵を目にすると、心が安らぎます。
そして、いろいろなことを考えさせられます。


虫に喰われて、そこからだんだん痛み始めている「りんご」は、見れば見るほど、自分と同化してくるんです・・
そろそろ50歳に手が届こうとしている私ですが、今の私は、ちょうどこの「りんご」と似ているかもしれません。


これまで、それなりに美容には気を使ってきましたし、いつも身ぎれいにはしているつもりですが、そうは言ってもここ数年で白髪は倍増し、老眼は進み、身体に無理がきかなくなってきました。
よく人からはお世辞で、「若いですねー」(←まぎれもなくお世辞!)とか、「30代に見えますね」(←200%お世辞!!)とか、言われますけど、いやいや、よく見たら(普通に見ても^^;)しっかりオバサンです。

最近は特にくたびれることが多くて、まさに全身が虫食い状態・・・
確かに「まだまだいける!」と思うときはありますし、「いつまでも成長期」のつもりで生きてきたので、気だけは若いかもしれませんが、少しずつ自分の終着地点が見えてきたような気もします。
それと同時に、まだ瑞々しい感性を失ってはいないぞっ!・・という自信もあったりして、カラヴァッジョが描いた「虫食いりんご」だって、充分に美しいじゃないの! 私だって!・・と(笑)


・・でも、絵は語りかけてきます。
「時は過ぎていくよ」・・と。
いつか自分が、「りんご」ではなく、右側の「枯れた葉っぱ」に思える時が来るよ・・と。


でも、さらに見つめていると、その枯れた葉っぱも、だんだん美しく見えてくるんですよね〜〜〜これが(笑)
やっぱりカラヴァッジョの絵が、あまりに美しいからなんですよね〜〜
ここまで「滅び」をえぐり出して見せているのに、それすら“うっとり”とさせる絵なんですよね・・・





もしこの2月から6月にかけて、イタリアはローマにお出かけになる機会がある方は、ぜひ足を運んで頂きたいと思います。
「カラヴァッジョ展」
私としては、せめて“図録”だけでも、誰かに頼んで買ってきてもらいたいと思っているところです^^

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